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積極的後進

後ろ向きに全力ダッシュ

好きってなんだろう?楽しいってなんだろう?

日記

大学院に入学する前に撒いたいくつかの種が,順調に芽吹いている生活.初夏.

コンテンツにハマる

僕がアニメにハマったのは中学3年の頃だったと思う.高校受験や,当時うまくいっていなかった人間関係からの逃避先として,たまたま触れたアニメを入り口にどんどんのめり込んでいった.
その後高専に入学して,周りの友人達もそれぞれ程度の違いはありつつもアニメやゲームというコンテンツが好きだったため,僕も肩を並べるようにしてさらにコンテンツを楽しんでいた.17歳の頃にアルバイトを始めてから,収入の殆どをコンテンツに費やした気がする.アニメやゲームの本編だけではなく,関連プライズや雑誌などに毎月の僅かな収入を使い切るようにしていた.

あの頃からもう8年くらい経つ.今の僕は当時と変わらずアニメやゲームに触れやすい環境にいるし,昔とは形を変えつつも,芯のところは変わらず接している.ところが,僕は今,それらのコンテンツを楽しめておらず,負担にさえ感じている気がする.

楽しいって何だろう

そもそも僕は,アニメやゲームのどこに楽しさを見出していたのだろう.あの頃の僕は,一体何を楽しんでいたのだろう.少し,見失ってしまっている.
アニメで,可愛い女のコが画面の向こうで笑っているのを見ることが好きだったのだろうか.それとも,カッコ良いメカが戦っているシーンに心震わせていたのだろうか.ゲームなら,イカしたヒーローを操作することに快感を覚えていたのだろうか.もしくは,女のコとの恋愛を楽しんでいたのだろうか.どれも正解だけど,今の僕はきっと,それで満足できなくなってしまったんだと思う.

自分でも間違えたくないのだけれど,僕はアニメやゲームが嫌いになったわけでは断じて無い.僕の人生は画面の向こうで輝くコンテンツと共にここまで進んできたし,きっとこれからもそうやって進んでいくのだと思う.でも,少し,楽しみ方がわからなくなってしまった.

アニメやゲームと同じくらい,僕の人生にとってWebは欠かせないものとなっている.Webが無ければ,僕の人生は全く違うものとなっていただろう.
そしてWebは今やリアルな生活と密着していて,切り離すことができない.オンラインでの会話やトレンドがそのままリアルに結びついてくる生活が,今の僕達にとっては当たり前となっている.その中で,コンテンツに関する情報の共有もまた,当然行われる.そこで,例えばゲームの進み具合なんかを話題に出すことは,何も不自然じゃないことだと思う.

でも僕は,そこに少し息苦しさを感じている.その話題をシャットアウトすることも,気にしないこともできる.しかしそういうことをしたくない僕としては,自分の楽しみ方を忘れてしまうには十分な環境に身を置いたと思う.特に最近は,ソーシャルゲームが盛んだ.ある意味,他人とゲームの進度を比較して競争することが真髄とさえ言えるのかもしれない.ゲームの構造としても,仲間と情報の共有をして進めていくことが前提のゲームも少なくないはず.その中で,いつの間にか「何のためにゲームをしているのか」を忘れてしまうこともあるんじゃないだろうか?

アニメに関しても,似たようなことが言えると思う.ユーザーの評価コメントや実況コメントなどが気軽に閲覧でき,また自分も書き込むことが出来る.感動の共有という意味では非常に素晴らしいシステムだと思うけれど,いつのまにかそこに足を取られているなんてことが無いだろうか?
アニメにしてもゲームにしても,自分の楽しめる楽しみ方ができているだろうか?いつの間にか,自分を見失ってはいないだろうか?

この記事を読んだ人たちへ

細々と書いているブログだから,あまり多くの人の目には触れないと思う.それでも,読んだ人たちに,力を貸して欲しいと思う.
あなたは,自分な好きなコンテンツをどのように楽しんでいますか?どこに“好き”を見出していますか?

僕は少し,わからなくなってしまった.
これからもコンテンツに触れて生きていくけれど,今しばらく,触れ方について考えていきたい.是非,意見を聞かせてください.

追記(2014/05/18)

このエントリのコメント欄やTwitter,リアルでコメントをくれた方もいらっしゃった.皆さん,本当にありがとう.皆さんのおかげで,今の自分なりに新しい考え方を持つことができた.特にid:fisto 先輩はエントリまで書いて自分の考えを教えてくれて,嬉しかった.

やっぱり,他の人の感想や進捗状況なんかをシャットアウトして,ある意味“自分だけの世界観”を構築することは妥当な自衛手段なんだと思う.それに惑わされることが最近すごく増えていると思うし(きっとそれは僕だけでなく),作品やコンテンツを楽しむために必要な手段だという考え方には同意できる.
しかし,例えばソーシャルゲームのように情報の共有が前提となっているゲームではそれは通用しないと思う.ここは特に業の深いハナシになると思うんだけど,如何に周りの情報を収集しながら,自分にとっての落とし所を見つけるっていうのも今後のコンテンツを楽しむのには必要なのかなぁなんて思ったりする.

今回の件で一番心に響いたのは,自分はコンテンツを本気で楽しんでないんじゃないかというコメントだった.感情移入という言葉と,多少ニュアンスの違いがあるように思うけれど,言い換えることも出来ると思う.
確かに,「自分は今,このアイドル達のプロデューサーだ」だったり,「俺はこのMSのパイロットだ」といった風に画面の向こうに自分を投影して感情移入して楽しむのが何だかんだで一番楽しめるように思う.
そのためには,ある程度時間を気にした(ex.今日はまだログインしてないな,ログインしなきゃ)プレイや視聴も意識的にした方が良いのかなと思う.ここで,その意識が重荷になることはあってはいけない.現にそういった意識が原因で,僕はラブプラスというゲームを一度あきらめている.コンテンツが人間を縛ることはあってはならない.

そういった楽しみ方を考えつつ,周りとの情報その他の共有なんてものが全く新しい感動を呼ぶと僕は信じている.だから,僕は周りをシャットアウトする方法をできるだけ採りたくない.アニメやゲームは僕達が生まれた年代だと,周りの有志や雑誌なんかで情報共有するのが関の山で,感動の共有は難しかったのだと思う.今は,そうじゃない.いろんな方法で,いろんな角度から,沢山の人達と感動を共有できる時代になった.これは,僕が思うインターネット最大の利点だ.それが悪い方向に向かうケースが今回のようにあると思うけれど,僕は最期まで感動の共有を諦めたくないのだなぁ.とりあえず,コンテンツに自己投影できるように,自分なりに本気で向かい合ってみることから始めようと思う.

繰り返しになるけれど,今回ボクにメッセージをくれた方々に感謝を.あなた方のおかげで,新しい考え方を持つことができた.そして,同じような悩みを持つ人に,何かの参考になれば良いなと思う.