積極的後進

後ろ向きに全力ダッシュ

募金とお賽銭

正月なので実家に帰省して家族に色んなところへ連れまわされる中で,今年も愛知県は名古屋市大須の辺りへ行った.
特に何か目的があるというわけではないのだけれど,ここ何年か慣習めいた感じで出かけている.

その中で高校生たちが大須観音周辺に陣取って,正月の人ごみと寒い中で募金活動をしていた.男子高校生が数人と女子高生が一人で,私立高校の奨学制度か何かについて募金を呼びかけていた.

その内容については特に覚えてもいなければ,「時給も出ないのに大変だよな」みたいな非常に世俗的な感想しか出なかったのだけれど,なんとなく小銭を投入している自分がいた.

昨今では募金したお金が本当に困っている人たちの助けになっているのかどうかが不透明という点で,募金に対する敬遠感があったように思う.実際僕も街角なんかで見かけてもあまり積極的な気持ちにはなれなかった.しかし久しぶりに募金をして,なんとなく考えが変わった.

本気で困っている人たちを助けたいなら募金という手段じゃなくて,何かもっと抜本的な手を打たなければ解決には至らないように思う.もちろん募金が助けにならないと言いたいわけじゃなくて,例えば教育や生活保護のシステムを変えるといったような手を入れる必要があるのではないだろうか.しかし,そんなことは誰にでも出来ることじゃないし,変えるためにはあらゆる角度から検討をする必要があるのだから当然時間がかかる.変革に向けて声を出すことは僕達にも出来るかもしれないけど,きっとそれは僕達の仕事じゃなくて.

このお正月は初詣に行ってお参りをする中でお賽銭を賽銭箱に入れたわけだけれど,募金っていうのはきっとあの瞬間と同じことなんだなと今更に思う.所詮一個人には莫大な投資ができるわけでもなければ,行政を直接動かすこともできない.では僕達ができることは,祈ることだけなんだなと強く感じた.もちろん,募金したお金の使い道や行き先なんかは知ることができないだろうし,募金したからといって現実がうまく転ぶわけでもない.しかし,困っている人たちの未来が開けるようにと祈ることだけはできる.お賽銭で「ご縁がありますように」って5円を投げ入れるのと同じように,ポケットに入っていた小銭を入れて祈っておけば良いのだと思う.

そうして投じた硬貨の落下音が,高校生お手製のダンボール募金箱にはあまり収穫が無いことを知らせてくれる.彼らが困っている当事者かどうかはわからないけど,彼らの未来が明るいものであるように祈りつつ.女子高生はマスクをとって笑顔でお願いする方がきっと収穫は上がるなどとオッサンめいたことを考えながら,こんな子供じみたことを思った.
彼らの未来に幸あれ.