積極的後進

後ろ向きに全力ダッシュ

やっぱ人間向き不向きあるし,向いてないと思ったら逃げるのも手なんだろうなぁ

バイトのお話

最近,研究か受験勉強をしていない時はだいたいアルバイトに時間を費やすハメになっていることになっており,マジで苦痛なのでこのエントリを書く.



この夏で,僕はちょうど5年ほど接客要員のアルバイトとして働いてきたことになる.途中で進学を挟んだので2つの職場を経験したことになるけれど,どちらの職場でも所謂”バイトリーダー”的な肩書きを持つまでに至った.飲食店の接客とスーパーのレジとでは若干の差異はあるものの基本的にはやることは同じだし,飲食店で3年半働いてきた僕が新しく働き始めたスーパーである程度の信用を勝ち取ることは,それほど難しいことではなかった.身内からは.

じゃあ肝心のお客さんからはどうなのかと言うと,これがさっぱり受けが悪い.ホントに接客を5年近くもやってきたのか疑わしいくらいに受けが悪い.1ヶ月に1度は暴言を吐かれるレベル.これが5年もやってきた人間の仕事かと言われると反論できないように思う.

そういう時って,決まって僕が手を抜いている時なんだけれど,じゃあ常に手を抜かず最大限のパワーで接客をし続けることができるかと言えば,恐らく余程の人物でなければそういうことは不可能だと思う.それを実行させようと社訓なんかに書いてるのが話題のブラック企業だし,総じてスタッフは潰れていく.つまり手を抜きつつも見栄えの良い方法を見つければ良いのだけれど,僕が未熟なのか未だになかなか上手くいかない.日による.

でも一番の問題点は,そうやって頑張って接客してても報われないことだと思う.

人間とマシンの境界線

接客要員とは何なのだろうか.この問の解として恐らく最もふさわしいのは「生身のマシン」だと思う.的確な仕事をこなし,愛想が良くて当たり前.どれか一つが欠けると,欠陥品の如く扱いを受けるわけで.確かに,それらの要素を満たしているからこそ仕事として成立してそれで給料をもらっているわけだけども,あくまで人間なんだよね.ましてや,アルバイトだし
.と思うのは僕の甘えなのだろうか.

僕は経験から,接客をしてもらう時は必ず相手を人間として見るようにしているし,そのほうが良いサービスを受けれることも知っている.しかし大多数の利用者はそうじゃない.「お金を払っているのだから,最大限のサービスを享受できて当たり前」という考えが浸透しているように思う.一見正しいように見えるけど,その向こう側にはスタッフの努力がある.利用者にも当然仕事があって(だからお金があって),自分たちも(おそらくは)仕事で何らかの努力を常日頃払っていると思うのだけれど,そこでマシンのような扱いを受ければ彼らはどのような状態に陥るだろうか.だから,接客業の人間には優しくなれないのかな.それは,やっちゃいけないことだと思うのだけれど.

結果,サービス業のスタッフは限りなく「生身のマシン」に近づいていくことになる.そしてスタッフの精神や肉体は限りなくすり減っていくわけだが.

数字

紙の上の数字とはよく言ったもので,これほど無機質なものはない.昨今,アルバイトをする学生は減少傾向にあるように僕は肌で感じているのだけれど,ともかくどこの職場でも人員不足が叫ばれているように思う.「では何故補充に関してもっと効果的な手を打たないのか?」と僕は常に思うのだけれど,それが出来ないから…とも思う.ともあれ,何らかの理由で人員不足に陥った職場では当然の用に残存スタッフにそのしわ寄せが行き,一番被害を被りやすいのがアルバイトである(パートさんはだいたいの勤務時間が決まっているようだ).僕は今の職場2年目にして大学4回生になるわけで,他のアルバイトと比べて最年長ということになる.もちろん,僕よりも勤続年数が長いアルバイトはたくさんいる.だが,大学4回生になる僕が毎月の勤務日数を見ても最も勤務しているという現実には頭を抱えずにはいられない.それは,僕の出勤可能日を数字にして見てみると同時に,仕事の出来を組み合わせると僕が一番使いやすい人材であることに他ならないからなのだが.全く嬉しくない.

お客さんからはほぼ全くと言って良いほど評価されていない僕が,身内からはある意味不釣合いなほどの評価を受けている.それは昨年度までの僕がある程度フレキシブルな対応を可能としたことも原因の一つだが,大学4回生となった今はそれほど動けるわけでもない.しかし,アルバイト個々人のパラメータを「数字」として評価・検討した場合には僕のような都合の良い人材を「マシンのように」使い倒すのが最も効率が良いのだろう.おそらくこれはどの企業でも一緒で,全てを数字として管理するから,やれブラック企業とかいう話になるんじゃないんだろうか.


結局のところ

僕はこの5年間の余暇の時間の大半をアルバイトに費やしてきた結果,「接客は死ぬほど向いてない」という結論しか得ることができなかったように思う.ある意味では現代の学生らしく,ある意味では最も学生としてはふさわしくない.もちろん,自分の頑張りに対して思うような評価が得られないということも一つの原因だけど,やっぱりマシン扱いが耐えられないのだなぁ.

ただこれは恐らく今後どこで生きるにしたって確実について回る概念で,世の中が効率化を求めた先の結果なのだろうなと感じている.義理人情だけでは生きることの出来ない世知辛い世の中だけれど,数字の向こうの人間に目を向けない限りどんな手を尽くしても働く環境は良くならないのだろうなぁ.本格的な社会人になったわけじゃないけど,これからの世の中に希望が持てない.義理人情や優しさを忘れた先には殺伐としたエゴしか無いのだろう.


これから

僕は「逃げる」ことは卑怯でも何でもないと考えていて,立派な戦略の一つだと思っている.むしろ根性論で耐え切れる方が珍しいし,耐え切った先が無いのではないだろうか.ということから,僕はこのお仕事からさっさとおさらばしたいと思っている.とはいえ,あまり親のすねをかじるわけにもいかないし,かと言ってアテがあるわけじゃない.某後輩君からは「プログラム書くアルバイトをしたらいいじゃないですか」とコメントをもらったことがあるけれど,それもツテが無いと出来ない話だ.何かチャンスがあるのならばと思うが,やはり進路が決まってない今は難しい気がする.進路が決まればその限りではない.それどころか,是非チャレンジさせていただきたい.

ともあれ,向いてない仕事を無理して続けて良いことはあまりない(強いて言えば周りのアルバイトより少しばかり時給が良いくらい)ので,時期を見て辞表を書いて,アテが無ければ親のすねをかじらせてもらう生活になるのだろうと思う.

学生の間の時間は貴重とは良く言ったもので,これからの時間は研究や勉強,趣味に充ててしかるべきだと考えているし,そのために少しばかり先立つモノさえあれば良い.向いてないと感じているならさっさとおさらばするというのも,一つの勇気なのだと感じている(きっと,社会人になってもそうなのだろう).ただの甘えなのかもしれないが,これからの時代は忍耐ではなく知恵と勇気で切り拓いて行きたいものだ.



眠れないのでワインとチーズを嗜みながら書いてみたが,そろそろ無くなるのでこのへんで.